今回は、●なぜ、片付けをしようとすると体がうごかないのか?の続きです。

前回、見た目がきれいになるという意味での片づけなら、難しくないことがあると書きました。

誰かが訪ねて来る時なら、簡単に片づけができてしまうという状態です。

でも、それは片づけではありません。笑い泣きヤッパリ

とりあえず、机の上のものを引き出しや本棚にすべて押し込んだり

床に散乱している洋服をタンスに押し込んだり

汚れた衣類を洗濯機に押し込んだり




こういうやりかたは一時的にきれいに見せるための、たんなる作業です。

「え~ビックリマークそうなの~あせる

全てのものを詰め込んで床に何もない状態になれば、一見するときれいになるので、本人は片づけたと思います

「どうよチョキ

が、物を押し込み詰め込んだだけでは、いざ何かを使おうとしたとき、どこに何があるかわからず

どこはてなマーク

結局、何かを使おうとするたびに、あちこち探しまわり、たくさんのものを引っ張り出しながら取りだすことになって、今以上に散らかしてしまうことになるのです。

いま、ドキっとしたあなた、心あたりありますねはてなマーク
「は、はい汗

片づけるということは見た目をきれいにするということもありますが、物を使いやすくし効率を上げるためにする行為のことです。

片づければ、便利で使いやすい空間ができ快適になる。

そんなことは、みなさん当然のことながらわかっています!!

よねはてなマーク

そんなことは、百も承知!!



ですよねはてなマーク

「はいビックリマークそのとおりでございますビックリマーク

でも、片づけようとすると体が動かない。


ですよねはてなマーク

「そうなんです~ダウン

わかります、わかりますほっこりウンウン

私もそうだったぐすんウンウン

安心してください。片づけができないのはあなたがズボラだからでも、なまけものだからでもありません。

 

これらはすべて「片づけへの抵抗」からくるものなのです。

 

では、いったいなにが片づけの抵抗をしているのかはてなマーク

私は、その正体を知りたくて知りたくて、調べて調べて調べまくりました!!

そして、わかったのが片づけられない原因~その1

それが、【幸福の否定】でした。

聞きなれない言葉だとおもいます。
わたしもはてなマークはてなマークはてなマークでした。

幸福の否定の例がいくつかありますので、あげてみます。

・母親と一緒に食事に出かけ、好きなものを食べなさいと言われて、一番安い料理を注文する子ども。

・高級な服はポンポン捨てられるのに、安くて古ぼけた服が捨てられない女性。

・お金に不自由していないのに、安いものばかりに目がいき、たくさん買い込む女性。

・誰かが自分に何かをくれそうになると、それをもらうのがいやで、いつもその場から逃げ出してしまう女性。

・人からほめられそうになると居心地が悪くなり否定してしまう女性。

このように、自分を幸福にしてくれそうなものから自分を遠ざける行為のことを幸福否定というそうです。
(私は一瞬、貧乏性のことはてなマーク とおもったのですが、それとは違うようです。)

なぜ、幸福を否定してしまうようになったのかは家庭環境やもともとの性格など、いろいろなパターンがあり人それぞれちがいますが

幸福否定の根本には自己否定というものが大きく関係しているようです。

この自己否定が酷くなってくると、こんどは自滅的になっていきます。

自分には、高級なものはふさわしくない。

自分には、親切にしてもらう資格はない。

自分には、ほめられるようなところはない。

自分には、快適で居心地のいい空間は合わない。




と、なるのです。

こういった自滅的な志向を持つ人たちは、何を食べようが、どこへ旅行に出かけようが喜ぶことがありません。

はたから見て喜んでいるように見えたとしても、「こういう時にはこうするものだ」という知識に基づいて演技しているにすぎないのです。

そして、この種の人々は趣味を持つことがほとんどありません。

趣味のない人たちに、趣味を持たせるのがきわめて難しいのは、まじめすぎるからでも堅物だからでもなく、そもそも自分を楽しませることを避けているからなのです。

自分のようなものは、楽しんではいけない。とおもっているのです・・・無意識に。

他にも似たような現象で
自分のためになることを、人にしてもらうことも自分ですることも難しいというパターンがあります。

このような人たちは、人の面倒見がよく不平不満を漏らすこともあまりないため、人から頼りにされることが多い。

「お願いね~ビックリマーク」「わかった~ビックリマーク

人のためなら、相当のことまで主張して譲らず思い切った行動も起こすのに

自分のこととなると、ほとんど何もできなくなってしまいます。

また、ものをねだらない子どもも、このような人たちと同質の問題を抱えていると言えるそうです。

このような子どもたちは、親にものをねだりたいのをがまんしているというよりは、意識の上にそういう願望自体が昇ってこない場合が多く。

そのため、表面的に見ると、ものわかりのよすぎる、子どもらしいところのない変におとなびた子どもと映ります。

「イヤイヤ、それほどでも・・・汗

そして、このような子どもたちの多くが、後年、問題を起こすことになるのだそうです。

「えっビックリマークそうなのはてなマークあせる

※参考書籍 『なぜあの人は懲りないのか困らないのか』 笠原敏雄著

 

私自身も上のパターンのようなことがたくさんありました。

私は、ものをねだらない子供でした。ねだるという願望そのものがなかったのです。

物欲がなかったのかはてなマークといえばそうではありません。
お願いをするという行為そのものが嫌だったんです。そういう行為を恥ずかしいとおもってました。

そして、人からほめられたりするとなんだかムズムズして居心地が悪く逃げだしたくなりました。
「ほ、ほめないで・・・恥ずかしいから・・・」

人のためには一生懸命がんばりますが、自分のためには、なにもしようとしませんでした。

というか自分のためになんて考えることもありませんでした。

なぜなら、自分のことよりも人のことを優先してやってあげるのが、良い人だと思っていたからです。

私は、優等生的な自分を演じていい人になったつもりでいたのです。

でも、自分の気持ちは自分が一番知っています。本当にそうおもってやっているのか、それとも上辺だけなのか・・・。

私は、だんだんと、やってることと思っていることのギャップが大きくなり、いい人の振りをするのがつらくなってきました。

そして、そんな自分が嫌で嫌でたまらなくなってきました・・・だって偽善者だったから・・

そして、幸福否定→自己否定→自滅志向→鬱→何もしたくない→片づけられない・・・となりました。

 

でも、これは「片づけられない原因」のひとつ目でした。

「片づけられない原因」はあと2つあります。

次回は、2つ目の原因のお話です。

片づけられる女になりたくて頑張っているのに、うまくいかない方。

汚部屋から脱出したいと思っているのに、うまくいかない方。

見てくださいね~👀

 

では、また✋

 

まなみ💓